平山郁夫 (ヒラヤマ イクオ)

Career

経歴

1930年
広島県豊田郡瀬戸田町(現尾道市瀬戸田町)で生まれる。
1947年
東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学。
1952年
卒業とともに同校助手となる。
1961年
第46回院展で『入涅槃幻想』が日本美術院賞(大観賞)を受賞。
1962年
第47回院展で『受胎霊夢』『出現』が日本美術院賞(大観賞)を受賞。
1964年
第49回院展で『仏説長阿含経巻五』『続深海曼陀羅』が文部大臣賞を受賞。
1973年
東京藝術大学美術学部教授に就任する。
1976年
日本芸術大賞受賞。
1978年
第63回院展で『画禅院青邨先生還浄図』が内閣総理大臣賞を受賞。
1988年
ユネスコ親善大使に就任する。
1989年
東京藝術大学学長に就任する。(1995年退任)
1992年
世界平和アピール七人委員会委員に就任。(2005年退任)
1992年
日中友好協会会長に就任。(2008年退任)
1994年
文化財保護振興財団理事長(現・文化財保護・芸術研究助成財団) に就任。
1995年
モンブラン国際文化賞を受賞。
1996年
日本育英会会長就任。(2001年退任) レジオン・ド・ヌール勲章受章。
1998年
文化勲章受章。
2001年
再び東京藝術大学学長に就任。(2005年退任) マグサイサイ賞受賞。
2002年
「文化交流貢献賞」受賞。
2004年
「修交勲章興仁章」受章。朝日賞受賞。
2005年
日韓友情年日本側実行委員長に就任。
2005年
東京国立博物館特任館長に就任する。平城遷都1300年記念事業特別顧問。
2009年
逝去。享年79歳。贈従三位追贈。

Infomation

作者について

01 作家紹介

1930年 広島県に生まれる。
1945年 学徒勤労動員先の広島陸軍兵器で原爆に被爆。
1947年 東京美術学校日本画科予科に入学。
1952年 東京美術学校日本画科を卒業とともに同校の日本画科副手となる。
1953年 第38回院展に作品「家路」が初入選する。
1955年 日本美術院院友に推挙される。
1959年 第44回院展に「仏教伝来」が入選する。河北倫明氏の新聞評に取り上げられる。
1960年 第45回院展に「天山南路(夜)」を出品する。仏伝シリーズの制作を開始。
1961年 第46回院展で「入涅槃幻想」を出品し日本美術院賞を受賞する。
1962年 第1回ユネスコ・フェロープによりヨーロッパへ留学する。
1965年 日本橋三越で個展を初めて開催する。
1967年 法隆寺金堂壁画再現事業に参加、第3号壁を担当する。
1973年 東京藝術大学美術学部教授に就任する。
1974年 バチカン宮殿内現代宗教美術コレクションに新作である「古代東方伝教者」を寄贈する。
1976年 全国6都市で「平山郁夫シルクロード展」を開催する。新潮文芸振興会からシルクロード展に発表された近作に対して第8回日本芸術大賞を贈られる。
1977年 第11回仏教伝道文化賞を受賞する。
1978年 第63回院展に出品した「画禅院青邨先生還浄図」が内閣総理大臣賞を受賞する。
1988年 ユネスコ親善大使に就任する。
1989年 東京藝術大学学長に就任する。
1992年 世界平和アピール七人委員会委員に就任し2005年まで務める。日中友好協会会長に就任する。早稲田大学より名誉博士号贈呈。
1993年 文化功労者として顕彰される。
1994年 文化財保護振興財団理事長に就任する。
1996年 日本育英会会長に就任する。フランスレジオン・ド・ヌール勲章を受章する。
1997年 故郷である広島で平山郁夫美術館が開館する。
1998年 文化勲章を受章する。
2004年 朝日新聞文化財団朝日賞を受賞する。韓国の修交勲章興仁章を受章する。
2005年 パキスタンを訪問しパキスタン政府より国際文明理解と調和の大使およびタキシラ名誉市民の称号を受ける。東京国立博物館特任館長に就任する。
2006年 日中友好協会の会長として胡錦涛主席と会見をする。
2007年 アメリカのカルフォルニア州ハンフォードのクラーク財団日本美術研究所にある美術館で平山郁夫展を開催する。さらに、東京国立近代美術館と広島県立美術館で「平山郁夫―祈りの旅路」展を開催する。
2008年 中国美術館で「平山郁夫芸術展」を開催する。
2009年 脳梗塞のため東京都内で死去する。79歳。

広島県豊田郡瀬戸田町に4男5女の3番目で次男として生まれた。
国宝の向上寺三十塔や奈良時代の創建といわれている古刹光明坊など古き良き歴史ある島で育った。この地で平山郁夫は海で遊び研究心旺盛であった。美しい風土と信仰心あつい両親の深い愛情に育まれ、彼の美意識と感性が完成されていった。
旧制広島修道中学(現修道中学校・高等学校)3年在学中に広島市内への原子爆弾が投下されたため被災した。この被爆経験が後の文化財赤十字活動などの原点となっている。
第二次世界大戦後は旧制忠海中学校(現広島県立忠海高等学校)に転校した。卒業後は、東京藝術大学日本画科に入学する。東京藝術大学日本画科副手を務めていた頃、原爆後遺症によって白血球減少の症状が出たため極度の貧血状態が断続的に続いた。一時、死を覚悟した。そのような中、三蔵法師をテーマとする「仏教伝来」を描きあげ院展に出品し見事入選を果たす。「仏教伝来」は幾度となくシルクロードの旅をしてきたからこそ出来上がった作品である。その旅の中で文化遺産が壊されていく様子や風景を何度も見てきた。だからこそ、彼は、世界の文化遺産の保護活動を積極的に取り組んできた。

02 作品の特徴

平山郁夫の画業の原点は広島で被爆した経験であった。しかし、原爆をテーマにした作品は1点しかない。原爆体験の想いが強いからこそ、筆が進まなかった。原爆をテーマにした作品を描けば世界中に衝撃を与えることができるが平山郁夫はそれをしなかった。
原爆の悲惨さを告発したり核兵器の撤廃を訴えるのではなく、彼は自分の作品の「平和の祈り」としている。
仏教やシルクロードをテーマに作品を描いている。やラクダに乗り砂漠を旅する様子を描いた作品が多い。人類の歴史を壮大なスケールで描いている。

03 査定のポイント

作品の状態によって価格の変動がある。
作品にシミ・カビ・ヤケ・ヒビ、その他損傷があると査定額が下がってしまう。
号いくらといった、美術品売買の基準は重要とならない場合が中古市場では多い。
作品が入っていた箱や袋、作品の説明書類があることや査定前に作品を柔らかい布等で傷を付けないよう綺麗にしておくと査定時のポイントが上がる場合もある。
お電話からお問い合わせ
0120 - 900 - 447 0120 - 900 - 447
(受付時間 9:00~17:00)
フォームからお問い合わせ

詳しい美術品情報が分からなくても構いません。まずは一度お問い合わせください。

無料査定申し込みフォームへ
LINE無料査定

QRコードを読み取るか、下記IDからお友達登録をお願いします。
ID:@sbkartc

お友達登録をする
LINE無料査定 無料査定申し込み