ルネ・ラリック (ルネ・ラリック)
Career
経歴
- 1860年
- フランス、シャンパーニュ地方に生まれ、パリで育った。
- 1876年
- パリの装飾美術学校に入学し、宝飾工芸家で金属細工師のルイ・オーコック(en)に師事し、装飾の技術を習い、夜はパリの装飾美術学校で学んだ。その後1878年から1880年までイギリスに滞在し、サイデナム・カレッジ(en)で学んだ。
- 1882年
- フリーランスの宝飾デザイナーおよびグラフィック・アーティストとして活動しはじめ、1885年にはパリのヴァンドーム広場にアトリエを構えるまでになった。カルティエなどの著名な宝飾店にも作品を提供し、当時の高名な女優サラ・ベルナールも顧客であった。
- 1897年
- レジオンドヌール勲章を受章。
- 1900年
- パリ万国博覧会では宝飾作品が大きな注目を集め名声を得た。
- 1908年
- コティの注文により、香水瓶とラベルのデザインをした。当時においては斬新な試みであり、本格的にガラス工芸品の生産を始めた。
- 1918年
- アルザス地方のヴァンジャン=シュル=モデールに新たな工場の建設を始め、1922年(1921年とも)年に完成した。これが、21世紀の今日まで続くラリック社の起源である。
- 1920年代
- から1930年代のラリックは、「パリ号」(fr)、「イル=ド=フランス号」など大西洋横断航路の豪華客船やオリエント急行の客車などのインテリア(ダイニングルームなどのガラス天井、装飾パネル)を担当した。また、レストラン、ホテル、邸宅などの装飾、ステンドグラス、噴水など、さまざまな分野に活躍の場を広げた。シボレーやジャガー、ロールス・ロイスなどのカーマスコット(自動車のボンネット先端に付けた装飾)作品も多数ある。
- 1945年
- 1945年に亡くなるまでラリックは数多くの作品を発表したが、晩年はリューマチが悪化してデッサンが描けなくなった。20年代から娘のスザンヌ(fr)がデザインを手がけたものもラリックの名前で発表されたので作風に相当な幅が見られる。