オーギュスト・ロダン (オーギュスト・ロダン)
Career
経歴
- 1840年
- フランス パリに生まれる。
- 1854年
- プティット・エコール(小さな学校)と呼ばれる工芸学校に入校した。
- 学業継続を望んでエコール・ボザール(グラン・エコール)に入学を志願し、塑像を提出し続けたが入学を拒否された。これには非常に大きな挫折を味わった。
- 1863年
- 姉マリアの死。ショックを受けたロダンは、修道士見習いとなるが、不向きだとされ美術の道へ。
- 1864年
- 生涯の妻となる裁縫職人のローズと知り合い、動物彫刻の大家であったアントワーヌ=ルイ・バリーに弟子入りする。
- 1870年
- 戦火を逃れ、職を求めてベルギーへ移住。
- 1875年
- 念願のイタリア旅行へ。ドナテッロとミケランジェロの彫刻に多大な影響を受けた。
- 『青銅時代』を製作、十数年ぶりに彫刻家として活動を開始した。ところがそのあまりのリアルさのために「実際の人間から型を取ったのではないか」との疑いをかけられ、憤慨したロダンは2年後に人間よりもかなり大き目のサイズの彫刻を新たに作る。それが、賞賛の言葉を得、ロダンの名は一気にフランス中に広まった。
- 1880年
- 国立美術館を建てる為のモニュメント作成依頼がくる。が1888年 美術館建設計画は白紙に戻る。その時、ロダンが準備していたのは『地獄の門』である。
- 1889年
- 『地獄の門』を覗き込む男を一つの彫刻として発表した。これが、『考える人』でる。
- 1917年
- ロダンは死期の迫ったローズと遂に結婚の手続きをした。ロダン77歳、ローズ73歳であった。その16日後にローズは死去し、更に9ヵ月後の11月17日にロダンも死去した。結局『地獄の門』は未完に終わった。