国吉康雄 (クニヨシ ヤスオ)

Career

経歴

1889年
岡山市中出石町(現 出石町1丁目)に生まれる。
1906年
岡山県立工業学校(染繊科)を退学し、渡米。
1907年
働きながらロサンゼルス美術学校夜間部に通う。
1914年
インディペンデント・スクール・オブ・アーツに入学。
1916年
アート・スチューデンツ・リーグに入学。
1917年
独立美術家協会第一回展に出品。
画家の集団ペンギン・クラブに加わる。授業料免除の奨学金を受ける。
1920年
リーグを退学。
1922年
ニューヨークのダニエル画廊と契約し、初の年次個展を開く。
ウッドストックの出版社が国吉の画集を出版。
1929年
ニューヨーク近代美術館の「現存アメリカ19人展」に選出される。
1931年
25年ぶりに帰国。岡山、東京、大阪で個展を開催。
1932年
美術家団体アン・アメリカン・グループの設立に関わる。
ラジオ・シティ・ミュージック・ホール中二階婦人化粧室の壁画を完成。
1933年
ダウンタウン画廊で個展開催。母校リーグで教職に就く。
1934年
ペンシルヴァニア・アカデミー・オブ・ザ・ファイン・アーツ「第129回年次展」にてテンプル・ゴールド・メダル受賞。
ロサンゼルス・カウンティ美術館展にて二等賞を受賞。
1936年
ニュー・スクール・フォア・ソーシャル・リサーチで教え始める。
左翼系の美術家団体アメリカ美術家会議に参加するも、まもなく退会。
1939年
アン・アメリカン・グループの会長となる。(1944年まで務める。)
ボルチモア美術館の「6人の現存アメリカ作家展」に選ばれる。
ピッツバーグのカーネギー「第37回国際絵画展」にて二等賞を受賞。
1940年
自伝的随筆「東から西へ」を「マガジン・オブ・アーツ」誌に寄稿。
1942年
アメリカ合衆国戦時情報局の要請により、日本人向け短波放送の演説原稿を書く。
1944年
ペンシルヴァニア・アカデミー「第139回年次展」でJ・ヘンリー・シャイト記念賞を受賞。
カーネギー「アメリカ合衆国絵画展」で一等賞を受賞。
1945年
アート・インスティテュート・オブ・シカゴ「第56回アメリカ絵画年次展」でノーマン・ウェイト・ハリス青銅牌を受賞。
1947年
美術家組合の初代会長となる。(1951年まで務める。)
1948年
「ルック」誌の現代アメリカの10人の画家に選出される。
ホイットニー美術館が現存画家としては初の回顧展を開催。
シンシナティ美術館の「アン・アメリカン・ショー」に6人のアメリカ人画家の一人として出展される。
1952年
A・コールダー、E・ホッパー、S・ディヴィスとともにヴェネチア・ビエンナーレのアメリカ代表作家に選ばれる。
毎日新聞社主催「第一回日本国際美術展」のアメリカ部門の作品を選考する。戦後はじめてアメリカ現代美術を日本に紹介。
1953年
逝去。
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