東山魁夷 (ヒガシヤマ カイイ)

Career

経歴

1908年
横浜市で生まれる。本名、新吉。
1926年
東京美術学校日本画科に入学 。
1929年
第10回帝展に「山國の秋」が初入選。
1931年
研究科に進み、結城素明に師事。
1933年
研究科修了後、第1回日独文化交換学生に選ばれ、ベルリン大学哲学科に留学、美術史を学ぶ。
1937年
35年に帰国後、初個展開催。
1939年
日本画院第1回展に「冬日(3部作)」を出品、日本画院賞第1席受賞。
1947年
第3回日展で「残照」(東京国立近代美術館蔵)が特選を得る。
1956年
「光昏」(日本芸術院蔵)により日本芸術院賞を受賞。
1965年
日本芸術院会員となる。日展理事に就任。
1968年
皇居新宮殿壁画「朝明けの潮」完成。
1969年
毎日芸術大賞受賞、文化勲章受賞とともに、文化功労者となる。
1974年
日展理事長となる。
1975年
唐招提寺障壁画「山雲」「濤声」完成。
1976年
ドイツ連邦共和国功労大十字勲章受賞。
1979年
東ベルリン、ライプチヒで展覧会開催。
1986年
第18回日展に「溪音」を出品。日本芸術院第1部長に選任。作者所蔵の自作品を一括して長野県に寄贈する。
1989年
ベルリン・ハンブルグ・ウィーンで展覧会、同帰国記念展(日本経済新聞社主催)を日本橋高島屋で開催。
1990年
大嘗祭の大餐の儀に使用された「悠紀地方屏風」制作。長野県信濃美術館・東山魁夷館開館。
1995年
米寿記念展を東京・京都・長野にて開催。
1999年
逝去。享年90歳。

Infomation

作者について

01 作家紹介

1908年 横浜に生まれる。
1911年 家族で神戸に転居する。
1921年 兵庫県立神戸中学校に入学する。
1926年 東京美術学校日本画科に入学する。
1931年 東京美術学校日本画科を卒業する。
1933年 東京美術学校研究科を終了し渡欧する。
1934年 第一回日独交換学生に選ばれ、ベルリン大学哲学科美術史部に入学。
1937年 初めての個展「東山魁夷滞欧スケッチ展」を神戸にて開催する。
1947年 第三回日展出品「残照」が特選となり、日本政府が買い上げた。
1950年 第六回日展に「道」を出品し風景画家として不動の地位を確立。
1956年 日展出品作品「光昏」が第十二回芸術賞を受賞し、日本政府が買い上げた。
1960年 東宮御所壁画「日月四季図」を完成させる。
1965年 日本芸術院会員に任命され、日展理事に就任する。
1968年 新宮殿の壁画「朝明けの潮」が完成する。
1969年 文化勲章を受章し同時に文化功労賞にも選出される。
1974年 日展理事長に就任する。
1975年 パリ吉井画廊で唐招提寺障壁画習作展、ケルン日本文化会館で同習作展。
1977年 パリ唐招提寺展に障壁画を作成する。
1980年 第2期唐招提寺障壁画を作成する。
1982年 国立国際美術館で東山魁夷展を開催する。
1984年 西ドイツ最高栄誉であるプールルメリット学芸芸術院会員となる。
1988年 京都市美術館、名古屋市美術館、兵庫県美術館で東山魁夷展を開館する。
1989年 ベルリン、ハンブルク、ウィーンにて「東山魁夷展」を開催する。
1994年 市川市に東山魁夷アートギャラリーを開館する。
1998年 第30回日展で「月光」を出品する。「月光」が最後の日展出品作品になる。
1999年 老衰のため90歳で死去。勲一等瑞宝賞を受賞する。
2005年 「東山魁夷せとうち美術館」を香川県に開館する。

東山魁夷は、横浜市海岸通りに生まれ、船具商を営んでいた父の仕事の関係で3歳の時に神戸へ転居する。兵庫県立第二神戸中学校に入学し、在学時から画家を志していた。
そのため、東京美術学校日本画科へ進学する。加藤栄三、橋本明治らと同級生であった。

〈学生生活〉
東京美術学校在学中に第10回帝展にて、「山国の秋」が初出品ながらも初入賞を果たす。東京美術学校を卒業後、幼少期から決して裕福な家庭ではなかったため自ら学費を稼ぎドイツのベルリン大学に留学する。留学時代は、優秀な友人たちから次々に画家として高い評価を受けていく中で、なかなか画家として高い評価を受けない日々が続いた。

〈帰国後〉
帰国後、日本画家である川崎小虎の娘すみと結婚する。東山魁夷が37歳の時に母が死去し千葉県市川市に移る。1953年大学の同期の吉村順三が設計をし、東山魁夷の自宅を建てる。その地で50年以上創作活動をしていた。

〈戦後〉
戦争が終わり、再び絵を描けるようになったときには肉親は誰もいなくなっていた。そんなどん底にいた彼が筆をとり描いた作品が第3回日展で出品した「残照」であり、この作品が特選したことが転機となった。その後、風景を題材に独自の表現を追求した。平明ながら、深い精神性の作品が多く、幅広い支持を集めた。1950年に日展審査員に任命され、任命後に「光昏」日本芸術院賞を受賞した。落成した皇居宮殿の障壁画を担当した。毎日芸術大賞、文化勲章、文化功労者などを受賞する。東京国立博物館評議員、自然環境保安審議会委員、日展理事長に就任する。

約10年の歳月をかけて奈良県唐招提寺御影堂障壁画「黄山暁雲」を制作する。幾度にも変わりゆく山の姿を墨の濃淡の使い分けで鮮やかに描いた。東山魁夷は黄山を「充実した無の世界」と表現した。混沌とした自然の移ろいにあらゆるものを生み出すエネルギーを感じ取った。奈良県唐招提寺御影堂障壁画「黄山暁雲」を手掛けたことにより国内で国民的日本画家と呼ばれるようになった。画家としてだけではなく文章家としても作品を制作していた。

〈その後〉
老衰のため90歳で死去する。従三位、勲一等瑞宝章を授与される。生前に描かれた作品や日展に出品した作品は東京国立近代美術館と長野県に寄贈された。戦後から死去するまでに暮らしていた千葉県の自宅の隣に東山魁夷記念館を開館した。

02 作品の特徴

風景画家として活躍されており深い精神性を宿した、落ち着いている風景画を描く。
幼少期から作品の特徴として、非常にシンプルな構図の作品が見られ、テレビCMにも使用された「緑響く」という作品は、白い馬シリーズのひとつで緑の大自然の中に白馬を描き自然の雄大さとその生命の尊さを感じさせる素晴らしい作品である。静けさに満ちた深い精神世界は日本人の心を魅了し続けている。非常にシンプルな作品でありながら風景画の中に自らの心情を映りだす技量はまさに昭和を代表する画家の名にふさわしいものなのかもしれない。自分自身の心情を自然の中に表現することが非常に優れた画家である。
人それぞれ魅力の感じ方は違うが、彼の自然に対する真摯かつ真剣な向き合い方は作品を見ているだけでも多くの感銘を受ける。作品の主な風景画はどれもどこかで見たことがある何気ない風景や自然を題材にしている。自然が持つ美しさと静寂、そして神秘さを丁寧に描写している。しかし、幻想的で現実世界とは少しかけ離れたような神々しさが感じられる。作品の色として、青や深い緑、群青の色を主体とした作品が多い。優美で静寂な雰囲気がある。

東山魁夷は戦前と戦後を経験した画家
一見洋画のような印象を与える独特な日本画が特徴。
日本中を写生しながら自身の感情も投影した作風は現代でも多くの人を魅了している。
穏やかな情趣、純潔な詩情の感じられる作品。

最も人気の高い作品は東山ブルーといわれる静謐な青を基調とした作品群である。山や森などの自然を題材に描くが東山ブルーで描かれている。

03 査定のポイント

作品の状態によって価格の変動はある。
作品にシミ・カビ・ヤケ・ヒビ、その他損傷があると査定額が下がってしまう。
号いくらといったサイズでの、美術品売買の基準は重要とならない場合が中古市場では多くある。作品が入っていた箱や袋、作品の説明書類があることや査定前に作品を柔らかい布等で傷を付けないよう綺麗にしておくと査定時のポイントが上がる場合もある。
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